2008年07月01日
黒い馬ドオー、ドオー
午(うま)年にちなんでの笑い話。場所は沖縄県は最北地の伊平屋島田名集落。さる11月24日に公民館落成式で千人位の人出で賑わった。田名は伊平屋でも1番大きく、名所旧跡芸能が
豊富な集落。棒、ウシデーク、入羽(舞台芸能)を3芸といい、落成に賭ける3芸の規模、熱の
入れようは50年ぶりといわれた。とりわけ89歳を筆頭に80代がずらり、顔かたちからして
古式?ヤングも含めたウシデークが有名で女性の威厳を誇る象徴である。
昭和30年の前半までは屋敷内に馬、牛豚、ヤギ等が飼われていた。1廻り先輩(大見謝武光)
の話は55年前、集落の真ん中に住むチャーミングナ3姉妹の旧家。そこに黒い馬がいて、主は
そそかっしいそうな人。いたずら好きな青年(今では70半ばを超える)5,6人が毛遊び帰りの
深夜、石垣越しに大声で「黒い馬どこの馬だろう、ドオー、ドオー」と2~3回わめきながら走り、
2人は両手でおしりをたたいて、足をばたばたさせ馬の足音をまねながら走る。2人は
「ドオー、ドオー」と叫び、最後の人が騒ぎながら指をさす。黒馬の主、飛び起き一目散。
ひょいと右を見れば馬が居るものを、音のする方、声のする方へ、パンツと裸足でいっさん走えー。ひっかかったと青年達は見え隠れしながらあの角この角と走り回る。主も負けじといっさん
走えー。とうとう集落中を走り廻り、へとへとになった主は捕獲作戦を立てるため我が家に
戻った。門をはいると左側から黒馬がヒヒーンと鳴いた(馬は主が戻ると草をもらえると鳴く)。
主は驚きと疲労と安心とだまされたことに、その場でへたりこんだ。
後ろで若者がヒヒーンヒ、ヒーンと大笑い。
2002年1月17日(木) 琉球新報 朝刊 掲載

* ホシゴンベとメガネゴンベ *画像を拡大して観てください
豊富な集落。棒、ウシデーク、入羽(舞台芸能)を3芸といい、落成に賭ける3芸の規模、熱の
入れようは50年ぶりといわれた。とりわけ89歳を筆頭に80代がずらり、顔かたちからして
古式?ヤングも含めたウシデークが有名で女性の威厳を誇る象徴である。
昭和30年の前半までは屋敷内に馬、牛豚、ヤギ等が飼われていた。1廻り先輩(大見謝武光)
の話は55年前、集落の真ん中に住むチャーミングナ3姉妹の旧家。そこに黒い馬がいて、主は
そそかっしいそうな人。いたずら好きな青年(今では70半ばを超える)5,6人が毛遊び帰りの
深夜、石垣越しに大声で「黒い馬どこの馬だろう、ドオー、ドオー」と2~3回わめきながら走り、
2人は両手でおしりをたたいて、足をばたばたさせ馬の足音をまねながら走る。2人は
「ドオー、ドオー」と叫び、最後の人が騒ぎながら指をさす。黒馬の主、飛び起き一目散。
ひょいと右を見れば馬が居るものを、音のする方、声のする方へ、パンツと裸足でいっさん走えー。ひっかかったと青年達は見え隠れしながらあの角この角と走り回る。主も負けじといっさん
走えー。とうとう集落中を走り廻り、へとへとになった主は捕獲作戦を立てるため我が家に
戻った。門をはいると左側から黒馬がヒヒーンと鳴いた(馬は主が戻ると草をもらえると鳴く)。
主は驚きと疲労と安心とだまされたことに、その場でへたりこんだ。
後ろで若者がヒヒーンヒ、ヒーンと大笑い。
2002年1月17日(木) 琉球新報 朝刊 掲載

* ホシゴンベとメガネゴンベ *画像を拡大して観てください
2008年06月11日
ムーンライトの宴
伊平屋島、昭和14年7月1日までは伊是名島(メージ)伊平屋島(クシジ)両島をそう呼んでいた。伊平屋島は琉球三山を統一した第一王統(7代64年)尚巴志の祖父(鮫川大主)の出身地である。伊是名島はというと第二王統(19代409年)の始祖尚円王の誕生した島だ。
共に沖縄の最北端の小さな島から琉球の歴史と文化、守礼の邦を創造した二大王統始まりの島だ。昭和63年に伊是名島(村長伊礼幸正)は島おこしイベントとして伊是名トライアスロンを立ち上げ島中を沸きかえらせて今回15回目。これをうらやましげに見ていた伊平屋島、これまで両
島はいろんな面で良きライバルとして競い合ってきた。伊是名島に遅れること7年、平成7年に
第1回の世界に類を見ない月夜のマラソンというキャッチフレーズ、月夜の島おこしに前村長
(新垣芳一)はゴーサインした。村民全員が事務局、ボランテイア、応援部隊等の役割だ。

* ゾウケイウミウシ :画像をクリックして観てください
参加人数230人から始り今回8回目の参加人数1285人、関係者、応援部隊等含めると、島の
人口1600人に匹敵するという。またマラソンコースに名所旧跡、歴史や神秘、ロマンの道のりと
なっており順を追って走ってみる。発着点に覆いかぶさりそうな虎頭岩、前泊集落を走り、歌に名高い田名集落を通過すると日本名木百選の念頭平松が左手、その枝ぶりの美しさは世界でもそ
うざらにはあるまい3km行くと神秘な天の岩戸(クマヤーガマ)一番の坂を上ると、クバ山、沖縄最北端の無人灯台があり、そこからの眺めは海とサンゴ礁白い砂浜緑の島影のコントラスが絶景である。500m行くと女の鏡とされた夫婦ロマンの無蔵水、そしてヤヘーの岩、左の山からは
野生のヤギの声を聞き、山と海辺の間を7km行くと第一王統ゆかりの地、我喜屋集落。右手に
295mの賀陽山、そして島尻集落をすぎると与根の浜、野甫大橋、ハンタ毛節で有名な野甫集落。そこからは来た道を月と語らいながら、右手に大宜見村、国頭村の明かりを見ながら終着駅だ。
ちなみに参加者ハーフマラソン1065人フルマラソン217人(県外101人)そしてハーフが人気
その大半は若い女性、その原因は最北地、日焼けしない、ハーフで3時間半(時間たっぷりな月光路)でジョガーの気分満喫。走り終わってのムーンライトの宴、伊平屋スーテー(歓待の心)。
牛汁、ソバ、合わせて3600人食、酒、カクテル飲み放題。走り終わった後のトレパン着でお互いの健闘をたたえながら芝生にあぐら、月の微笑みを受け、飲む、食べる味覚と達成感と開放感、
秋風が疲労した筋肉をそっと吹き抜けていく、癒しの瞬間グランドに大の字。無の境地だ。
そして舞台から流れるサウンド、これこそムーンライトの宴、ジョガー冥利だ。いつしか舞台前は
ひとだかりサウンド乗って踊り狂い?。ムードに酔い感無量の新報社の野里常務、ムーンライトマラソンはハネムーンマラソンだ月に向ってカンパーイ、顔は感涙だ。ムードに乗った、村長、
議長うかれて乾杯、受け皿は頑張ってね。村おこしの宴はまだスタートライン。
月ぬマラソンや 御万人と共に 走る嬉しさに 眺み遊ば
2002年11月9日(土) 琉球新報朝刊 掲載

* キンギョハナダイ *画像をクリックして観てください
共に沖縄の最北端の小さな島から琉球の歴史と文化、守礼の邦を創造した二大王統始まりの島だ。昭和63年に伊是名島(村長伊礼幸正)は島おこしイベントとして伊是名トライアスロンを立ち上げ島中を沸きかえらせて今回15回目。これをうらやましげに見ていた伊平屋島、これまで両
島はいろんな面で良きライバルとして競い合ってきた。伊是名島に遅れること7年、平成7年に
第1回の世界に類を見ない月夜のマラソンというキャッチフレーズ、月夜の島おこしに前村長
(新垣芳一)はゴーサインした。村民全員が事務局、ボランテイア、応援部隊等の役割だ。

* ゾウケイウミウシ :画像をクリックして観てください
参加人数230人から始り今回8回目の参加人数1285人、関係者、応援部隊等含めると、島の
人口1600人に匹敵するという。またマラソンコースに名所旧跡、歴史や神秘、ロマンの道のりと
なっており順を追って走ってみる。発着点に覆いかぶさりそうな虎頭岩、前泊集落を走り、歌に名高い田名集落を通過すると日本名木百選の念頭平松が左手、その枝ぶりの美しさは世界でもそ
うざらにはあるまい3km行くと神秘な天の岩戸(クマヤーガマ)一番の坂を上ると、クバ山、沖縄最北端の無人灯台があり、そこからの眺めは海とサンゴ礁白い砂浜緑の島影のコントラスが絶景である。500m行くと女の鏡とされた夫婦ロマンの無蔵水、そしてヤヘーの岩、左の山からは
野生のヤギの声を聞き、山と海辺の間を7km行くと第一王統ゆかりの地、我喜屋集落。右手に
295mの賀陽山、そして島尻集落をすぎると与根の浜、野甫大橋、ハンタ毛節で有名な野甫集落。そこからは来た道を月と語らいながら、右手に大宜見村、国頭村の明かりを見ながら終着駅だ。
ちなみに参加者ハーフマラソン1065人フルマラソン217人(県外101人)そしてハーフが人気
その大半は若い女性、その原因は最北地、日焼けしない、ハーフで3時間半(時間たっぷりな月光路)でジョガーの気分満喫。走り終わってのムーンライトの宴、伊平屋スーテー(歓待の心)。
牛汁、ソバ、合わせて3600人食、酒、カクテル飲み放題。走り終わった後のトレパン着でお互いの健闘をたたえながら芝生にあぐら、月の微笑みを受け、飲む、食べる味覚と達成感と開放感、
秋風が疲労した筋肉をそっと吹き抜けていく、癒しの瞬間グランドに大の字。無の境地だ。
そして舞台から流れるサウンド、これこそムーンライトの宴、ジョガー冥利だ。いつしか舞台前は
ひとだかりサウンド乗って踊り狂い?。ムードに酔い感無量の新報社の野里常務、ムーンライトマラソンはハネムーンマラソンだ月に向ってカンパーイ、顔は感涙だ。ムードに乗った、村長、
議長うかれて乾杯、受け皿は頑張ってね。村おこしの宴はまだスタートライン。
月ぬマラソンや 御万人と共に 走る嬉しさに 眺み遊ば
2002年11月9日(土) 琉球新報朝刊 掲載

* キンギョハナダイ *画像をクリックして観てください
2008年05月22日
琉球新報賞受賞式に参加して
今年38回目になるという琉球新報賞、会場のパシフィックホテル沖縄は時間前から超満員。
司会の美しい声が響く、会場が静まりかえり受賞者の3先生を讃える宮里新報社長、稲嶺県知事が
挨拶を終え授賞式に移る。大きい賞状がきた、これにはビックリ病気(ヤンメー)と借金ぬ他や、
(チャーまぎまぎ)と大きくか?小さなきゃしゃな女性なら押しつぶされるんじゃないかと、他人事ながら心配だった。いよいよ受賞者の挨拶、トップは大濱方榮先生。医者、教育委員長、参議院議員等の話題満載、吉本興業のお笑い芸人かと思うほど会場はもちろん、笑った顔を見たことの
ない稲嶺知事も壇上で大笑い。また少しろれつが回らないところに妙味がある。あげくに奥さんに配慮か、去年金婚式を済ませたから大きな拍手の要求で、すかさずやんやの大喝采。
これじゃー次の東江康治先生がやりづらい?が、さすが琉大、名桜大の学長を務められ、
沖縄の教育の牽引者、年の功、話は堅いがなんなく通過。さー 二人の先生の後、古典
音楽の島袋正雄先生頑張って? 先生は一昨年の三線野村流の人間国宝(沖縄では初)に
認定され、現在各地を
報恩公演挙行中である。芸能人らしくご挨拶(ぐえーさち)はすべて方言、琉歌を交えながら
謙虚な話。大濱先生が動の挨拶なら、正雄先生は静、東江先生は学者の挨拶か。今日は参加
してよかった。笑い、感動、威厳、努力、継続、そして酒、ご馳走、5千円で元は取り過ぎた。
黄金兄達(くがにヤッチータ)が 歩でちゃる道に 沖縄青年(ニセター)や 後に続き。
2002年10月20日(日)琉球新報、朝刊掲載
*テングヘビギンボ
* 画像をクリックして拡大して観て下さい
司会の美しい声が響く、会場が静まりかえり受賞者の3先生を讃える宮里新報社長、稲嶺県知事が
挨拶を終え授賞式に移る。大きい賞状がきた、これにはビックリ病気(ヤンメー)と借金ぬ他や、
(チャーまぎまぎ)と大きくか?小さなきゃしゃな女性なら押しつぶされるんじゃないかと、他人事ながら心配だった。いよいよ受賞者の挨拶、トップは大濱方榮先生。医者、教育委員長、参議院議員等の話題満載、吉本興業のお笑い芸人かと思うほど会場はもちろん、笑った顔を見たことの
ない稲嶺知事も壇上で大笑い。また少しろれつが回らないところに妙味がある。あげくに奥さんに配慮か、去年金婚式を済ませたから大きな拍手の要求で、すかさずやんやの大喝采。
これじゃー次の東江康治先生がやりづらい?が、さすが琉大、名桜大の学長を務められ、
沖縄の教育の牽引者、年の功、話は堅いがなんなく通過。さー 二人の先生の後、古典
音楽の島袋正雄先生頑張って? 先生は一昨年の三線野村流の人間国宝(沖縄では初)に
認定され、現在各地を
報恩公演挙行中である。芸能人らしくご挨拶(ぐえーさち)はすべて方言、琉歌を交えながら
謙虚な話。大濱先生が動の挨拶なら、正雄先生は静、東江先生は学者の挨拶か。今日は参加
してよかった。笑い、感動、威厳、努力、継続、そして酒、ご馳走、5千円で元は取り過ぎた。
黄金兄達(くがにヤッチータ)が 歩でちゃる道に 沖縄青年(ニセター)や 後に続き。
2002年10月20日(日)琉球新報、朝刊掲載
*テングヘビギンボ
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2008年05月10日
チャンネル広げる
去る17日、第5回琉球新報への投稿者の集いが新報ホール(泉崎ビル)に100人余の参加者でにぎわった。会場に入るなり1年ぶりの再会の声がにぎやかに飛び交いグラス片手に満面の笑み、1年間投稿の欄で名前、顔を拝見するが本人に会うと、この容姿であの文章が生まれるんだと思いだしながらにこにこ。今年から女性の参加者が多くなった、女性の感性が社会の癒し、情操、伝えたいありがとう等の紙面を飾る。年配の文にはあじわい、風刺、苦言、助言、浄化など人生の
年輪を感じさせる。この日の3分間スピーチも紙面の展開のように老若男女、威風堂々のあいさつ、なかでも紙面の取り持つ縁で戦時遭難船のイカダ漂流時の隣人、50年ぶりの再会のあいさつには感激した。なるほど宮里新報社長のチャンネルを広げたいむねの挨拶が心に染みた。
この集いは肩書きを振り回さない人生の素直なストーリがあり人生のわびさびがある。最後に新報社創立110年を祝し来年会えることを誓いカチャシーの乱舞とあいなった。帰路七夕を連想しながら天の川ならぬモノレールに乗りネオンの街を飛んでいた。
2003年10月30日(木)琉球新報 朝刊 掲載

ハチマキダテハゼ *画像をクリックして拡大して観てください
年輪を感じさせる。この日の3分間スピーチも紙面の展開のように老若男女、威風堂々のあいさつ、なかでも紙面の取り持つ縁で戦時遭難船のイカダ漂流時の隣人、50年ぶりの再会のあいさつには感激した。なるほど宮里新報社長のチャンネルを広げたいむねの挨拶が心に染みた。
この集いは肩書きを振り回さない人生の素直なストーリがあり人生のわびさびがある。最後に新報社創立110年を祝し来年会えることを誓いカチャシーの乱舞とあいなった。帰路七夕を連想しながら天の川ならぬモノレールに乗りネオンの街を飛んでいた。
2003年10月30日(木)琉球新報 朝刊 掲載

ハチマキダテハゼ *画像をクリックして拡大して観てください
2008年04月25日
レッツ! 三線
浦添市湊川中学校(東恩納吉一校長)で2年生の選択音楽の中に三線コースがあるようで担当の赤嶺みどり先生から依頼電話
があり二つ返事で引き受けた。9月20日の学習発表会まで12回約20時間、23日最初のレッスン日31名の生徒が待つ
教室へ時代は変わったか女生徒が多い、これからの沖縄の三線人口を予測するかのように、サー私の自己紹介・・・・・・
ほとんどの生徒が初めてのようだ赤嶺先生とのジョイント指導、三線の持ち方、姿勢、弾きかたなどなど、少し緊張の感じが
するが目は生き生き輝いている。調弦(チンダミ)のやりかたを終え、最初の練習曲安波節に移る中には安波節で新人賞を
受賞した生徒もいるようだ三線の持ち方構えからしてさまになっている。他の生徒も頑張って!与えられた時間を集中して
練習して!そして時間はまたたくまに過ぎた。次は再来週、終了後3年目になるという舞踊の久手堅一子師匠達と9月
20日の学習発表会の打ち合わせ、生徒の歌三線で生徒が踊る、曲はかぎゃで風節、安里屋ユンタ節そして三線単独で
安波節、芭蕉布と決まった、がはてさて重い課題になった。
今原稿を書きながら赤嶺先生から渡された生徒の三線へのアンケート文、三線は沖縄の伝統楽器文化だから一曲でも
できるようになりたい、おじいちゃん、おばあちゃんと一緒に演奏してみたい、沖縄を代表する三線を沖縄県民でありながらも
一度も触ったことすらないのでぜひ曲が弾けるまで頑張りたい、もう三線を生涯の伴侶と思ってる者には目からうろこです。
またユニークな表現では昔、三線やってたけどやめてしまいでももう一回やってみたい、中学2年生で昔のという言葉がおもしろい時代は縮まったか?わたしも乗り遅れないように頑張ろう。港川中2年三線教室の皆さんよろしく!頑張ろう
2008年4月25日 野村流音楽協会

オトメハゼ *画像をクリックして拡大して観て下さい
があり二つ返事で引き受けた。9月20日の学習発表会まで12回約20時間、23日最初のレッスン日31名の生徒が待つ
教室へ時代は変わったか女生徒が多い、これからの沖縄の三線人口を予測するかのように、サー私の自己紹介・・・・・・
ほとんどの生徒が初めてのようだ赤嶺先生とのジョイント指導、三線の持ち方、姿勢、弾きかたなどなど、少し緊張の感じが
するが目は生き生き輝いている。調弦(チンダミ)のやりかたを終え、最初の練習曲安波節に移る中には安波節で新人賞を
受賞した生徒もいるようだ三線の持ち方構えからしてさまになっている。他の生徒も頑張って!与えられた時間を集中して
練習して!そして時間はまたたくまに過ぎた。次は再来週、終了後3年目になるという舞踊の久手堅一子師匠達と9月
20日の学習発表会の打ち合わせ、生徒の歌三線で生徒が踊る、曲はかぎゃで風節、安里屋ユンタ節そして三線単独で
安波節、芭蕉布と決まった、がはてさて重い課題になった。
今原稿を書きながら赤嶺先生から渡された生徒の三線へのアンケート文、三線は沖縄の伝統楽器文化だから一曲でも
できるようになりたい、おじいちゃん、おばあちゃんと一緒に演奏してみたい、沖縄を代表する三線を沖縄県民でありながらも
一度も触ったことすらないのでぜひ曲が弾けるまで頑張りたい、もう三線を生涯の伴侶と思ってる者には目からうろこです。
またユニークな表現では昔、三線やってたけどやめてしまいでももう一回やってみたい、中学2年生で昔のという言葉がおもしろい時代は縮まったか?わたしも乗り遅れないように頑張ろう。港川中2年三線教室の皆さんよろしく!頑張ろう
2008年4月25日 野村流音楽協会

オトメハゼ *画像をクリックして拡大して観て下さい
2008年04月18日
琉歌漫歩「山原の旅」の小さな巨人
第15回沖縄芸能連盟(玉城節子会長)主催の「歌の碑巡り北部編」が3月27日参加者353名大型バス7台を連ねて賑やかな大名行列となったコースは戦後のヒット曲二見情話、その碑の前では353名のダイナミックな男女掛け合いの歌で始まり、汀間の丸目加奈(まるみ
かな)と首里の役人請人(うきにん)神谷の恋の物語を歌った、汀間とう節を渡久地美代子師匠が即効で踊り 「つつじ園」で昼食、イベント用舞台があり芸能連盟としてはそのまま帰るわけにはいかない、上り、下り口説、浜千鳥を舞い、踊った方 新垣満子 山内小夜 伊波正江・・・・・師匠、安波節、国頭サバクイでは大斉唱し、森川の子 許田の手水となった。碑の前とバスの中では担当講師の説明を受け琉歌漫歩の旅を堪能した。
碑の前とバスの中で三線を弾いた私の所に5歳位の男の子が「金細工説を聞きたいから歌ってください」と来た、
私は一瞬どこからこのバスに迷いこんできたのか?こんな小さな子が「金細工説」をと驚いて頭をなでた。
マイクでそのむね説明すると、新垣満子師匠のれっきとした弟子で5歳、3歳から母親と一緒に稽古しているそうな。
大人だったら断っていたはずが礼儀正しい子だから半信半疑で三線を弾く、すると照れも気負いも無く1人3役、喰て加奈兄
(くわてーかなひ)と辻の真牛(もーさー)と辻の阿母(あんま)役を実に表情豊かに淡々とこなす、私も驚きの笑いをこらえながら歌と三線を踏ん張る。その表情がなぜか天才といわれる野球の一郎選手とかさなった。バスはもう完全に5歳の坊やの独演会だ、今度は高平良万歳の口説だけと来た、口説を終ると物足りないか編み笠をはずす所作だ、惹かれるように
一くさりを歌った。もうこんな子供なんて考えはいらない、比嘉克之君との会話でバスは終点に着いた帰り際に今度
合うときは「しょんどうの踊り」をぜひときた。いつどこで小さな巨人と巡り合うか楽しみだ
2004年4月 野村流音楽協会

ヤシャハゼ *画像をクリックして拡大して観て下さい
かな)と首里の役人請人(うきにん)神谷の恋の物語を歌った、汀間とう節を渡久地美代子師匠が即効で踊り 「つつじ園」で昼食、イベント用舞台があり芸能連盟としてはそのまま帰るわけにはいかない、上り、下り口説、浜千鳥を舞い、踊った方 新垣満子 山内小夜 伊波正江・・・・・師匠、安波節、国頭サバクイでは大斉唱し、森川の子 許田の手水となった。碑の前とバスの中では担当講師の説明を受け琉歌漫歩の旅を堪能した。
碑の前とバスの中で三線を弾いた私の所に5歳位の男の子が「金細工説を聞きたいから歌ってください」と来た、
私は一瞬どこからこのバスに迷いこんできたのか?こんな小さな子が「金細工説」をと驚いて頭をなでた。
マイクでそのむね説明すると、新垣満子師匠のれっきとした弟子で5歳、3歳から母親と一緒に稽古しているそうな。
大人だったら断っていたはずが礼儀正しい子だから半信半疑で三線を弾く、すると照れも気負いも無く1人3役、喰て加奈兄
(くわてーかなひ)と辻の真牛(もーさー)と辻の阿母(あんま)役を実に表情豊かに淡々とこなす、私も驚きの笑いをこらえながら歌と三線を踏ん張る。その表情がなぜか天才といわれる野球の一郎選手とかさなった。バスはもう完全に5歳の坊やの独演会だ、今度は高平良万歳の口説だけと来た、口説を終ると物足りないか編み笠をはずす所作だ、惹かれるように
一くさりを歌った。もうこんな子供なんて考えはいらない、比嘉克之君との会話でバスは終点に着いた帰り際に今度
合うときは「しょんどうの踊り」をぜひときた。いつどこで小さな巨人と巡り合うか楽しみだ
2004年4月 野村流音楽協会

ヤシャハゼ *画像をクリックして拡大して観て下さい
2008年04月02日
世界を視野にする芸能家に
第40回を数えた芸能コンクール(琉球新報社)の表彰式が昨年12月11日沖縄ハーバービューホテルで行なわれ
803人の受賞者で賑わった。受賞者のトップは舞踊最高賞の翁長由佳さん、比嘉辰博新報社長から賞状を贈られ
緊張感と嬉しさと誇りが全身から伝わった。次々と着物姿、セーラー服、スーツ姿などが舞台とフロアを埋め尽くす
芸能界の1年の締めくくりに最もふさわしい光景だ。離島の弟子から「行く船はあるけど帰りは海が時化そうで危ない
ので参加できない」と優秀賞の受賞代理を依頼された、33年前を思い出しながら私も照れて賞状を受け取った。
翌日から海は大荒れ4日も船は決行し離島の悲哀はここにも出た。私的な意見だが芸能は自分との戦いである。見栄を
張らずに明日からの日々の練習に頑張ってそしていつか世界を視野にする芸能家に育ってほしい。三線の人間国宝の
島袋先生が受賞者の気持ちを代弁して次の琉歌を詠んだ。「御師匠ぬ前うかじに芸能の道ちわみ 御褒美さじかたし
夢ぬくくち」受賞者の方たちに幸あれ、カンパーイ!
2006年1月11日(水) 琉球新報朝刊 掲載

センネンダイ *画像をクリックして拡大して観て下さい
803人の受賞者で賑わった。受賞者のトップは舞踊最高賞の翁長由佳さん、比嘉辰博新報社長から賞状を贈られ
緊張感と嬉しさと誇りが全身から伝わった。次々と着物姿、セーラー服、スーツ姿などが舞台とフロアを埋め尽くす
芸能界の1年の締めくくりに最もふさわしい光景だ。離島の弟子から「行く船はあるけど帰りは海が時化そうで危ない
ので参加できない」と優秀賞の受賞代理を依頼された、33年前を思い出しながら私も照れて賞状を受け取った。
翌日から海は大荒れ4日も船は決行し離島の悲哀はここにも出た。私的な意見だが芸能は自分との戦いである。見栄を
張らずに明日からの日々の練習に頑張ってそしていつか世界を視野にする芸能家に育ってほしい。三線の人間国宝の
島袋先生が受賞者の気持ちを代弁して次の琉歌を詠んだ。「御師匠ぬ前うかじに芸能の道ちわみ 御褒美さじかたし
夢ぬくくち」受賞者の方たちに幸あれ、カンパーイ!
2006年1月11日(水) 琉球新報朝刊 掲載

センネンダイ *画像をクリックして拡大して観て下さい
2008年03月25日
水洗便所
旧沖縄タイムスビルが壊された、このビルには深い思い出があった。ときは昭和33年9月、B円からドルへの交換直後新しい
ドルを持って浮き浮きの伊平屋中学3年生の本島修学旅行である。辺戸岬を回って終着の那覇の沖縄タイムス社に着く。
バス酔いで苦しい中新聞社の説明も耳に入らず、トイレを探してきょろきょろそれらしい場所を探して入るも田舎の汲み取り
便所とは違うけど下腹部が持たない、「エーイままよ」とドドー、フーとすっきり。今度は不安になった、はたしてこれが便所
だろうか?入る時は黄金の塊はなかったが今はある、周囲を見るとチリ紙があるこの紙で包んで持ち帰るのかな、まさか
こんなことがあるはずがない。目の前にタンクがあり側に紐がついていた、この紐で魔法でも使うのかな、おもいっきり紐を
引っ張った。とたんに股の間からすごい勢いで水がザー、わー!びっくりすると同時に反射的に1mほど飛び上がった。
着地しようとしたらズボンが両足に絡みスッテンコロリ、強く尾てい骨を打ちアガヨー!こんなことってありかよ。しかし痛いどころか水と黄金の行方が心配でたまらない事務所の中か家の居間か台所かどこに流れたんだろう?
あれから10年沖縄にも沖縄下水道公社(総裁志村恵)が設立され、今日の水洗便所が普及した。少年の深い思い出の旧
タイムスビルが消え、新都心に新しいビルが建って1年が過ぎようとしている。
ちなみにあのトイレは和式だった。
2002年12月29日(日)沖縄タイムス朝刊茶のみ話特集掲載

あおうみがめ *クリックして拡大して観て下さい(すべての画像)
ドルを持って浮き浮きの伊平屋中学3年生の本島修学旅行である。辺戸岬を回って終着の那覇の沖縄タイムス社に着く。
バス酔いで苦しい中新聞社の説明も耳に入らず、トイレを探してきょろきょろそれらしい場所を探して入るも田舎の汲み取り
便所とは違うけど下腹部が持たない、「エーイままよ」とドドー、フーとすっきり。今度は不安になった、はたしてこれが便所
だろうか?入る時は黄金の塊はなかったが今はある、周囲を見るとチリ紙があるこの紙で包んで持ち帰るのかな、まさか
こんなことがあるはずがない。目の前にタンクがあり側に紐がついていた、この紐で魔法でも使うのかな、おもいっきり紐を
引っ張った。とたんに股の間からすごい勢いで水がザー、わー!びっくりすると同時に反射的に1mほど飛び上がった。
着地しようとしたらズボンが両足に絡みスッテンコロリ、強く尾てい骨を打ちアガヨー!こんなことってありかよ。しかし痛いどころか水と黄金の行方が心配でたまらない事務所の中か家の居間か台所かどこに流れたんだろう?
あれから10年沖縄にも沖縄下水道公社(総裁志村恵)が設立され、今日の水洗便所が普及した。少年の深い思い出の旧
タイムスビルが消え、新都心に新しいビルが建って1年が過ぎようとしている。
ちなみにあのトイレは和式だった。
2002年12月29日(日)沖縄タイムス朝刊茶のみ話特集掲載

あおうみがめ *クリックして拡大して観て下さい(すべての画像)
2008年03月05日
先人達と心一つに
沖縄芸能連盟(玉城節子会長)の第14回いにしえを偲ぶ{琉球、薩摩ロマンの旅}が12月8日から10日まで行われ、51人の参加者で盛り上がった。古典舞踊の大部分が琉球の国王の戴冠式にやってくる、いわゆる御冠船の際に完成され、上演されたのに対して「上り、下り口説」はらち外で発達したものである。また「七五調」の音楽形式が琉球音楽に大きな変化をもたらした。
早朝5時に首里観音堂に集結し、千手観音様に旅の安全祈願をし「上り口説」の一番だけの奉納舞いを会長自ら踊り、大道松原ー安里八幡宮ー崇元寺ー美栄橋碑文ー中の橋ー三重城ー那覇港までを徒歩で行く、午前8時の船で残波岬を後に見て伊平屋渡の波を乗り越えながら、ゆれるデッキで「上り口説」「花風」を舞い、七島渡中もなだやしく硫黄が島の煙は、船から見る時間と位置、太陽の光、天気、噴煙の関係で「燃える煙」か「立ちゅる煙」に見えるようだ。今回は立ちゅる煙の方がすっきり感じる。そして佐多の岬ー御開聞ー山川港ー桜島ー鹿児島港にたどり着いた。
今回の講師は芸能界のご意見番崎間麗進先生、独特な話術で聞く人をいにしえの世界へと誘う、また旅の一番の楽しみは夜の懇親会。芸能人ならではのアトラクションが延々とつづく。とくに琴の安里ヒロ子、高良時江氏、舞の山内小夜氏等大ハッスル船の旅も悠久のロマンを醸し出し、船酔いも吹き飛びはじめての人もイチャリバ兄弟のごとくすぐ親しくなった。翌日、琉球人の墓参りをし琉球館後-山川港の異国船番所跡地、そしてそこにあったであろう「琉球人瀬」の碑、その由来は琉球人の船が座礁し、人や積荷を地元の人達が積極的に助けた。それを聞いた三司官池城親方が地もとの人達にお礼状を送った。

ガラスハゼ *クリックして拡大して観て下さい
その碑の土台が風で破壊され碑は20m先に転がっていた。見かねた一行仮にでも何とか修復しようと翌日早朝6時から実行に移した。実行にあたって碑の重量計算をし次に波の作用と反作用を分散させる場所、また地元の護岸工事に支障のない場所、元の場所から5m以内と選定してして作業に入った。石をかたずけ使える石を集め、木の廃材を拾い廃材をレールにして碑を転がし穴を掘り、碑を建て石を敷き詰め砂をかぶせ、参加者全員が熱気あふれ心が一つになり各々の仕事をはたし、完成した時は節子会長おもわず「バンザーイ」全員つられて「バンザーイ、バンザーイ」先人達と心が一つになった瞬間だった。
いにしえを偲ぶ琉球、薩摩ロマンの旅の締めくくりにふさわしい幕引きだった。夢多き純真なきらきら輝く少女のような瞳が脳裏からはなれない。崎間先生いわく「芸能は心だ」今度の旅は心の旅だったと説いた。
2004年12月30日(木) 琉球新報朝刊掲載

オキナワベニハゼ *クリックして拡大して観て下さい
早朝5時に首里観音堂に集結し、千手観音様に旅の安全祈願をし「上り口説」の一番だけの奉納舞いを会長自ら踊り、大道松原ー安里八幡宮ー崇元寺ー美栄橋碑文ー中の橋ー三重城ー那覇港までを徒歩で行く、午前8時の船で残波岬を後に見て伊平屋渡の波を乗り越えながら、ゆれるデッキで「上り口説」「花風」を舞い、七島渡中もなだやしく硫黄が島の煙は、船から見る時間と位置、太陽の光、天気、噴煙の関係で「燃える煙」か「立ちゅる煙」に見えるようだ。今回は立ちゅる煙の方がすっきり感じる。そして佐多の岬ー御開聞ー山川港ー桜島ー鹿児島港にたどり着いた。
今回の講師は芸能界のご意見番崎間麗進先生、独特な話術で聞く人をいにしえの世界へと誘う、また旅の一番の楽しみは夜の懇親会。芸能人ならではのアトラクションが延々とつづく。とくに琴の安里ヒロ子、高良時江氏、舞の山内小夜氏等大ハッスル船の旅も悠久のロマンを醸し出し、船酔いも吹き飛びはじめての人もイチャリバ兄弟のごとくすぐ親しくなった。翌日、琉球人の墓参りをし琉球館後-山川港の異国船番所跡地、そしてそこにあったであろう「琉球人瀬」の碑、その由来は琉球人の船が座礁し、人や積荷を地元の人達が積極的に助けた。それを聞いた三司官池城親方が地もとの人達にお礼状を送った。

ガラスハゼ *クリックして拡大して観て下さい
その碑の土台が風で破壊され碑は20m先に転がっていた。見かねた一行仮にでも何とか修復しようと翌日早朝6時から実行に移した。実行にあたって碑の重量計算をし次に波の作用と反作用を分散させる場所、また地元の護岸工事に支障のない場所、元の場所から5m以内と選定してして作業に入った。石をかたずけ使える石を集め、木の廃材を拾い廃材をレールにして碑を転がし穴を掘り、碑を建て石を敷き詰め砂をかぶせ、参加者全員が熱気あふれ心が一つになり各々の仕事をはたし、完成した時は節子会長おもわず「バンザーイ」全員つられて「バンザーイ、バンザーイ」先人達と心が一つになった瞬間だった。
いにしえを偲ぶ琉球、薩摩ロマンの旅の締めくくりにふさわしい幕引きだった。夢多き純真なきらきら輝く少女のような瞳が脳裏からはなれない。崎間先生いわく「芸能は心だ」今度の旅は心の旅だったと説いた。
2004年12月30日(木) 琉球新報朝刊掲載

オキナワベニハゼ *クリックして拡大して観て下さい
2008年02月17日
金扇、銀扇が舞う
第6回歌い初め舞い初め華舞台(新報社主催)が16日県立武道館で1500人の芸能家で華やかに行われた。御嘉例3曲に
入るが山びこならぬ反響があり、歌い初めの雰囲気、壮重な唄、三線とはいいがたい、がそこは沖縄芸能文化の基本の要、
指揮者のいない流派の違う300人の唄、三線見事だ。いよいよ華やかに舞い初め、フロアいっぱいあでやかな衣装の
舞踊家1000人、かぎやで風の舞で扇子は一つ、片面は金色、片面は銀色扇子を返す度に金、銀の羽がゆっくり厳かに
羽ばたく様は感嘆の極め。また圧巻なのが扇子二つ持ちの上り口説、闊達な二才踊りで、所作も大きく大胆さとライトが金と銀の
色合いを存分に醸し出し、まるで蝶が優雅に波打つように飛んでるようだ。中でもハイライトは7番の伊平屋渡立つ波うしすいて
・・・・扇子が歌詞と曲を表現する最大の見せ場だ。またこの場面は扇子の不ぞろいなのが実に似合う。二階から見る1000人の扇子踊りの新しい発見だ。次の浜千鳥節は、各流派の違いがはっきりし、グループごとの渦潮を連想させる踊りだ。
最後はお楽しみ抽選会、会場はいっぺん様変わり歓声の連発、くじと縁の無い私はいつしか車の中、ふと側を走るオートバイ、
頭にちょこんとヘルメット、あでやかな和服姿がスーと走り去った。おもわずほー!感嘆。
世界に羽ばたけ 沖縄の芸能 守礼の邦の 至芸広み
2003年1月30日(木) 琉球新報朝刊 掲載
イソバナ *クリックして拡大して観て下さい
入るが山びこならぬ反響があり、歌い初めの雰囲気、壮重な唄、三線とはいいがたい、がそこは沖縄芸能文化の基本の要、
指揮者のいない流派の違う300人の唄、三線見事だ。いよいよ華やかに舞い初め、フロアいっぱいあでやかな衣装の
舞踊家1000人、かぎやで風の舞で扇子は一つ、片面は金色、片面は銀色扇子を返す度に金、銀の羽がゆっくり厳かに
羽ばたく様は感嘆の極め。また圧巻なのが扇子二つ持ちの上り口説、闊達な二才踊りで、所作も大きく大胆さとライトが金と銀の
色合いを存分に醸し出し、まるで蝶が優雅に波打つように飛んでるようだ。中でもハイライトは7番の伊平屋渡立つ波うしすいて
・・・・扇子が歌詞と曲を表現する最大の見せ場だ。またこの場面は扇子の不ぞろいなのが実に似合う。二階から見る1000人の扇子踊りの新しい発見だ。次の浜千鳥節は、各流派の違いがはっきりし、グループごとの渦潮を連想させる踊りだ。
最後はお楽しみ抽選会、会場はいっぺん様変わり歓声の連発、くじと縁の無い私はいつしか車の中、ふと側を走るオートバイ、
頭にちょこんとヘルメット、あでやかな和服姿がスーと走り去った。おもわずほー!感嘆。
世界に羽ばたけ 沖縄の芸能 守礼の邦の 至芸広み
2003年1月30日(木) 琉球新報朝刊 掲載
イソバナ *クリックして拡大して観て下さい2008年02月17日
復帰の年の新人賞
民謡、古典、野村流、安冨祖流とか区別どころか、聞いたことさえない私が、友達の薦めで、故波平榮武師匠(野村流音楽協会)の門をたたく。聞いたことのない恩納節から入った、ミスへの声が大きく厳しい声が飛んでくる、が終わりには、今の時代にはマイクもあるし、声を絞りなさい。しかし来年は新人賞を受けなさい(そうだ!来年は復帰の年だ、世替わりだ)。
そしてその来年がきて受験者の控え室、緊張した顔、顔、血走った目、調弦の高さが違う唄、歌、皆さん必死の追い込みだ、
誰かが審査委員をナンクァ(かぼちゃ)と思えと言った。いよいよ俺の出番、頭の中は本(工工四)を描きながらゆっくり
歌いだす、余裕が出て審査委員の顔を1人ずつ眺めまわす。なるほど頭が禿げたせいかカボチャに似た方がおられる。カボチャ
と思えとはこいうことか?失礼しました(本当はびくびくするな同じ人間だろうの暗示)。今度は二階の応援席を見渡すと
兄弟子達の顔が笑っていた。曲も終わりにちかずくともうここまでくれば百パーセント合格だ、とそう思った瞬間無欲から欲に
変わり、緊張感が走り体の震えがきて思うように歌えない、勝負は最後の下駄を履くまでは判らないとはこの事か
2002年5月15日(水) 琉球新報朝刊 掲載
ケラマのサンゴ *クリックして拡大して観て下さい
そしてその来年がきて受験者の控え室、緊張した顔、顔、血走った目、調弦の高さが違う唄、歌、皆さん必死の追い込みだ、
誰かが審査委員をナンクァ(かぼちゃ)と思えと言った。いよいよ俺の出番、頭の中は本(工工四)を描きながらゆっくり
歌いだす、余裕が出て審査委員の顔を1人ずつ眺めまわす。なるほど頭が禿げたせいかカボチャに似た方がおられる。カボチャ
と思えとはこいうことか?失礼しました(本当はびくびくするな同じ人間だろうの暗示)。今度は二階の応援席を見渡すと
兄弟子達の顔が笑っていた。曲も終わりにちかずくともうここまでくれば百パーセント合格だ、とそう思った瞬間無欲から欲に
変わり、緊張感が走り体の震えがきて思うように歌えない、勝負は最後の下駄を履くまでは判らないとはこの事か
2002年5月15日(水) 琉球新報朝刊 掲載
ケラマのサンゴ *クリックして拡大して観て下さい 2008年01月05日
鉄人の愛する島(伊是名島)
急な用事で伊是名島に渡った、その日が16回目のトライアスロンの日とは知らず伊是名ビーチに集まった数百人の鉄人達、
前田村長の号砲一発で一斉に海に飛び込んだ。さーこれからが大変だ、記憶は1回目にタイムスリップした。皆最短距離
を泳ぐから、まさしくイモ洗いの格闘技だ。クロールで泳ぐと手の届く範囲は頭は押さえられメガネは外され、足は引っ張られる
。平泳ぎでは足で蹴られる、でも少しでも前へそして早く、自分との戦いである。下を泳ぐ熱帯魚に手を振った2Kmだった。
自転車は66Km唯一島の5集落を回り全村民の声援を受けるコース。ギタラ坂を2~4週目のとき、トライアスロンを島興し
の起爆剤として立ち上げた元村長(伊礼幸正)があんたは走るな!夜の三線が弾けなくなるからと叫ぶのが昨日のようにおもえる。
最後は20Km走だ、島中の老若男女が太鼓、バケツ、鍋の蓋等を打ち鳴らし、横断幕、三線カチャシー、感動と笑いと涙の
ゴールだった。ゴール後のマッサージ、グランドに持ち込んだ冷水風呂あれは最高!トライアスロンは全身の運動、疲れた分
感動も大きい。グランドに大の字、秋風がほてった全身をいたわって吹き抜けていく無欲の境地だ。
これからが鉄人たちの夜のステージ、腹ごしらえも十分、婦人部の牛汁、刺身など食べ放題、三線や鉄人達の乱舞、終わりのない夜の戦いだった。翌日出船の港別れの5色のテープで民宿のおばさん達の涙とそれを醸し出すホタルの光の曲、感激のあまり海に次々
飛び込んだ居残りの鉄人たちのシーンが脳裏から離れない。これまで8回のトライ、来年から新たなチャレンジに燃える。
2003年10,22、沖縄タイムス朝刊 茶のみ話掲載。

スカシテンジクダイの群れ *クリックして拡大して観て下さい
前田村長の号砲一発で一斉に海に飛び込んだ。さーこれからが大変だ、記憶は1回目にタイムスリップした。皆最短距離
を泳ぐから、まさしくイモ洗いの格闘技だ。クロールで泳ぐと手の届く範囲は頭は押さえられメガネは外され、足は引っ張られる
。平泳ぎでは足で蹴られる、でも少しでも前へそして早く、自分との戦いである。下を泳ぐ熱帯魚に手を振った2Kmだった。
自転車は66Km唯一島の5集落を回り全村民の声援を受けるコース。ギタラ坂を2~4週目のとき、トライアスロンを島興し
の起爆剤として立ち上げた元村長(伊礼幸正)があんたは走るな!夜の三線が弾けなくなるからと叫ぶのが昨日のようにおもえる。
最後は20Km走だ、島中の老若男女が太鼓、バケツ、鍋の蓋等を打ち鳴らし、横断幕、三線カチャシー、感動と笑いと涙の
ゴールだった。ゴール後のマッサージ、グランドに持ち込んだ冷水風呂あれは最高!トライアスロンは全身の運動、疲れた分
感動も大きい。グランドに大の字、秋風がほてった全身をいたわって吹き抜けていく無欲の境地だ。
これからが鉄人たちの夜のステージ、腹ごしらえも十分、婦人部の牛汁、刺身など食べ放題、三線や鉄人達の乱舞、終わりのない夜の戦いだった。翌日出船の港別れの5色のテープで民宿のおばさん達の涙とそれを醸し出すホタルの光の曲、感激のあまり海に次々
飛び込んだ居残りの鉄人たちのシーンが脳裏から離れない。これまで8回のトライ、来年から新たなチャレンジに燃える。
2003年10,22、沖縄タイムス朝刊 茶のみ話掲載。

スカシテンジクダイの群れ *クリックして拡大して観て下さい
2008年01月05日
筝は静の世界、弦声一致に感動
9月10日は「筝(クトウ)の日」だった。第5回「筝美らさ御万人と」(琉球新報社主催、琉球筝曲興陽会共催)が同日
パレットくもじの2階Pデッキで開かれた。台風15号の悪天候にも負けず250人(8-88歳)の会員が大演奏や歌を披露した。筝は日本の文化である、演奏者は沖縄の空と海をイメージした揃いの和服だ。折から東からの強風を正面に受けセットした
黒髪が2-3本風になびかせながらも弦を弾く、その度に体が前後に動く様は、輝かしい未来に向かってオールを漕ぐ、琴の
音と歌声を満載した美しい船人を連想させる。また、正面には連盟会長の風に舞う扇子が源平合戦の壇ノ浦の船上の弓の
的を連想した。伏目がちに弦を見つめながら静かに音を風に乗せ、人々の感性を揺るがす。指揮者のいない70メートルに
並んだ琴の音と、歌をずれずに前後一つの音にするのはかなりの練習だ。曲が変わるごとに移動して聞くがずれない、
まさに弦声一致だ。興陽会ならではか。舞が動の世界なら、筝は静の世界だ。琉球筝曲興陽会は海外を含め19支部あり
会員が2000人近いという。今年で5回を数える筝の日、9月10日は台風の通過する日なのか毎回悪天候、しかし雨にも
負けず、風にも巻けず、おまけに台風にも負けず、各支部からバスを貸しきって集まった沖縄女性。筝への誇り「バンザーイ」
その音色、歌声天に届けー!。
筝ぬ日ん定め 御万人と共に 筝ぬ音ぬ広み なさなうちゅみ
2005年10、6、(木) 琉球新報朝テイータイム掲載

レモンスズメダイ *クリックして拡大して観て下さい
パレットくもじの2階Pデッキで開かれた。台風15号の悪天候にも負けず250人(8-88歳)の会員が大演奏や歌を披露した。筝は日本の文化である、演奏者は沖縄の空と海をイメージした揃いの和服だ。折から東からの強風を正面に受けセットした
黒髪が2-3本風になびかせながらも弦を弾く、その度に体が前後に動く様は、輝かしい未来に向かってオールを漕ぐ、琴の
音と歌声を満載した美しい船人を連想させる。また、正面には連盟会長の風に舞う扇子が源平合戦の壇ノ浦の船上の弓の
的を連想した。伏目がちに弦を見つめながら静かに音を風に乗せ、人々の感性を揺るがす。指揮者のいない70メートルに
並んだ琴の音と、歌をずれずに前後一つの音にするのはかなりの練習だ。曲が変わるごとに移動して聞くがずれない、
まさに弦声一致だ。興陽会ならではか。舞が動の世界なら、筝は静の世界だ。琉球筝曲興陽会は海外を含め19支部あり
会員が2000人近いという。今年で5回を数える筝の日、9月10日は台風の通過する日なのか毎回悪天候、しかし雨にも
負けず、風にも巻けず、おまけに台風にも負けず、各支部からバスを貸しきって集まった沖縄女性。筝への誇り「バンザーイ」
その音色、歌声天に届けー!。
筝ぬ日ん定め 御万人と共に 筝ぬ音ぬ広み なさなうちゅみ
2005年10、6、(木) 琉球新報朝テイータイム掲載

レモンスズメダイ *クリックして拡大して観て下さい
2007年12月26日
歌は格闘技
結成11年目、平均年齢65歳のシニア層を中心とした混声合唱団「アミーチ」の第7回演奏会を8日、那覇市民会館
大ホールでじっくり拝聴した。真っ赤な衣装で堂々とした73人の女性軍団に対して遠慮がちな男性33人、して今日のバトルは?会場は最初から温かい笑いに包まれた。指揮者の翁長剛氏のタクトが振られると人生の喜怒哀楽を経験した熟年の感性と歌声が会場いっぱいに響き思わず「ホー」、ステージにくぎ付けされた。曲が終ると誰かが思わず「ブラボー」と叫んだ、これが観客の答えだろう。しかし男性人が女性軍団に圧倒されている、比率からしてあと20人はほしいところか。
結成当時は男性は1人だったとそれから一本釣りで今日の人数になったとは肩の凝らない司会の話術。男性側の聞かせどころソーラン節の三線の音をバスの声だろうか女性を圧倒した。1部が終るとすかさず観客席から「おばちゃーん」かわい声が響く、ステージと観客から大笑い、この声が今日の出演者と観客の年齢層だろう。「歌は格闘技なり」腹の底から頭骨を響かせて人間の持っている本能的な声で聞き手の本能に訴える、翁長氏の言葉と司会者が紹介してくれた。
私も未熟ながら琉球古典音楽を勉強して40年近い、30年前から古典音楽でも「喜怒哀楽、歌は格闘技」を自分なりに
心に抱いてきた。違うジャンルからの指摘、まさに「歌に壁なし国境なし」小躍してペンを執った。
2006年9月14日 琉球新報朝刊 テイータイム掲載

大度海岸のサンゴ *クリックして拡大して観て下さい
大ホールでじっくり拝聴した。真っ赤な衣装で堂々とした73人の女性軍団に対して遠慮がちな男性33人、して今日のバトルは?会場は最初から温かい笑いに包まれた。指揮者の翁長剛氏のタクトが振られると人生の喜怒哀楽を経験した熟年の感性と歌声が会場いっぱいに響き思わず「ホー」、ステージにくぎ付けされた。曲が終ると誰かが思わず「ブラボー」と叫んだ、これが観客の答えだろう。しかし男性人が女性軍団に圧倒されている、比率からしてあと20人はほしいところか。
結成当時は男性は1人だったとそれから一本釣りで今日の人数になったとは肩の凝らない司会の話術。男性側の聞かせどころソーラン節の三線の音をバスの声だろうか女性を圧倒した。1部が終るとすかさず観客席から「おばちゃーん」かわい声が響く、ステージと観客から大笑い、この声が今日の出演者と観客の年齢層だろう。「歌は格闘技なり」腹の底から頭骨を響かせて人間の持っている本能的な声で聞き手の本能に訴える、翁長氏の言葉と司会者が紹介してくれた。
私も未熟ながら琉球古典音楽を勉強して40年近い、30年前から古典音楽でも「喜怒哀楽、歌は格闘技」を自分なりに
心に抱いてきた。違うジャンルからの指摘、まさに「歌に壁なし国境なし」小躍してペンを執った。
2006年9月14日 琉球新報朝刊 テイータイム掲載

大度海岸のサンゴ *クリックして拡大して観て下さい
2007年12月24日
棒高跳びと三線外交
本県の棒高跳びの記録保持者(高校一般)の知念健二君24歳が去年の11月に私の友人の内間君の頼みで三線を習い
に来た、これには条件があった。来年の5月にニュージランドへ1年間陸上留学するが、その時に三線を持って行きたいので
集中特訓をお願いとのことだった。短期決戦は臨むところだ、さっそく計画を練り2人のバトルが始まった。
スポーツマンらしく明るくチャレンジ精神が旺盛だ。なにより古典、民謡とわず好きで集中力が凄い、そして声がついてくる。
与えられた課題を次々棒高跳びのようにクリアしていく、その彼が5月初めに明るい声で旅たった。程なく絵葉書が来た、
以来7通を数える。そのどれにも三線がすばらしく習ってよかったと、そして南米を遠征中、
「アルゼンチンのバスの中で地もとのアーチストが三線を見てすぐに弾いて下さいと声をかけてきて家まで招待され、
また沖縄にもすごく興味をもたれいつか遊びに行くとのこと、改めて三線音楽の力って人をリラックスさせ引き付けるんだなー」
とはがきの健二君、帰省して新人賞を取得2007年3月千葉県の三育小学校に転勤し長男誕生の報を受け
学校の子供達と一緒に三線を楽しんでいるようだ
2002年10月8日 琉球新報声の欄掲載
カクレクマノミ *クリックして拡大して観て下さい
に来た、これには条件があった。来年の5月にニュージランドへ1年間陸上留学するが、その時に三線を持って行きたいので
集中特訓をお願いとのことだった。短期決戦は臨むところだ、さっそく計画を練り2人のバトルが始まった。
スポーツマンらしく明るくチャレンジ精神が旺盛だ。なにより古典、民謡とわず好きで集中力が凄い、そして声がついてくる。
与えられた課題を次々棒高跳びのようにクリアしていく、その彼が5月初めに明るい声で旅たった。程なく絵葉書が来た、
以来7通を数える。そのどれにも三線がすばらしく習ってよかったと、そして南米を遠征中、
「アルゼンチンのバスの中で地もとのアーチストが三線を見てすぐに弾いて下さいと声をかけてきて家まで招待され、
また沖縄にもすごく興味をもたれいつか遊びに行くとのこと、改めて三線音楽の力って人をリラックスさせ引き付けるんだなー」
とはがきの健二君、帰省して新人賞を取得2007年3月千葉県の三育小学校に転勤し長男誕生の報を受け
学校の子供達と一緒に三線を楽しんでいるようだ
2002年10月8日 琉球新報声の欄掲載
カクレクマノミ *クリックして拡大して観て下さい
2007年12月24日
そーむん(大事なもの)忘ったるむん(忘れてしまった)
第11回になる島袋光裕芸術文化賞の贈呈式が7日夜、ロワジールホテルで大勢の芸能家や関係者で賑わった。
受賞者は宮城鷹夫、安座間澄子両氏、会長の簡単なあいさつ、自分から審査委員長になったという沖縄の芸能界の
水戸黄門こと崎間麗進御大、歳は重ねても口と体は意気軒昂、独特な話術で審査の裏話をチクリ、会場を笑いのステージ
へ。いよいよ受賞式、賞状と盾を宮城氏に贈呈した呉屋秀信会長、副賞の金一封を司会から催促されておもわず
「あい!そーむん忘ったるむん」。笑いをこらえた独り言がマイクから流れた、沖縄人で企業家らしい言葉に会場は静かな笑い
こういうチョンボは癒されて時間を忘れさせてくれる。県知事、那覇市長の挨拶(代読)のあと受賞者のあいさつ。最初の
宮城氏、長い挨拶になるやと構えていると、
わずか30秒でさっさと席に戻った。あっけにとられた会場、やっと笑いが起こり次第に爆笑。司会の機転の合図で2度3度の
大拍手、そーだ受賞者のことは周囲の挨拶で十分だ。本人はこれでいいんだと変に納得したが、これじゃ次の安座間先生は
やりずらいだろう、とおもいきや準備した原稿を読むがこれまた、1分20秒、女性の優しさの文でかるくまとめた感じ、
誰かが行ったことを思い出した。「あいさつは短めに、幸せは長ーく」と会場の雰囲気で納得した。帰路今日は七夕、
女房と2人でネオンの中へ繰り出した。
茶のみ話 沖縄タイムス朝刊 2004,8,13 掲載

クダゴンベ *クリックして拡大して観て下さい
受賞者は宮城鷹夫、安座間澄子両氏、会長の簡単なあいさつ、自分から審査委員長になったという沖縄の芸能界の
水戸黄門こと崎間麗進御大、歳は重ねても口と体は意気軒昂、独特な話術で審査の裏話をチクリ、会場を笑いのステージ
へ。いよいよ受賞式、賞状と盾を宮城氏に贈呈した呉屋秀信会長、副賞の金一封を司会から催促されておもわず
「あい!そーむん忘ったるむん」。笑いをこらえた独り言がマイクから流れた、沖縄人で企業家らしい言葉に会場は静かな笑い
こういうチョンボは癒されて時間を忘れさせてくれる。県知事、那覇市長の挨拶(代読)のあと受賞者のあいさつ。最初の
宮城氏、長い挨拶になるやと構えていると、
わずか30秒でさっさと席に戻った。あっけにとられた会場、やっと笑いが起こり次第に爆笑。司会の機転の合図で2度3度の
大拍手、そーだ受賞者のことは周囲の挨拶で十分だ。本人はこれでいいんだと変に納得したが、これじゃ次の安座間先生は
やりずらいだろう、とおもいきや準備した原稿を読むがこれまた、1分20秒、女性の優しさの文でかるくまとめた感じ、
誰かが行ったことを思い出した。「あいさつは短めに、幸せは長ーく」と会場の雰囲気で納得した。帰路今日は七夕、
女房と2人でネオンの中へ繰り出した。
茶のみ話 沖縄タイムス朝刊 2004,8,13 掲載

クダゴンベ *クリックして拡大して観て下さい
2007年12月09日
古(いにしえ)の先祖に抱(いだ)かれて
十月十七日、台風20号の間隙を縫って船は仲田港に着いた。港には「名誉村民尚家22代当主、故尚裕様お帰りなさい」との横断幕があり、村長はじめ関係者が喪服姿でずらりと並んでいた。タラップから遺骨を抱いた長男、娘、孫、尚財団関係者が安どした表情で下りてきた。これから伊是名村玉御殿で御安葬の儀が行われる。
尚裕氏は、今から五百九十年前、伊是名村の農民の子として生まれ、「チロウ(強い)、ジンブン(知恵)、カーギ(顔)、シガタ(姿)」で、第二王統(十九代四百九年)を築いた金丸、始祖尚円王の末えいで、琉球の歴史と文化、平和と守礼の国を創造した王統である。
沖縄には玉御殿が二カ所ある。首里玉御殿(玉陵)は歴代王とその側室、子供たちが安葬されている。伊是名玉御殿は、東室に尚円王の父母、姉、宗祖、西室には代々の伊平屋アンガナシー、両二カヤ田アンガナシー、そして銘苅家主夫妻が安葬されている。
二十二代当主の尚裕氏が生前、伊是名島にある尚家の財産をすべて村に無償提供したことや、また、同氏の「永遠の眠りは伊是名島」との要望もあり、尚円が島を出て五百六十六年の時空を越えて、古(いにしえ)の先祖に抱かれての安葬の儀となった。また、昨年十一月に亡くなられた裕氏の姉・井伊文子さんも同様、八月二十七日に分骨の儀が行われた。
琉球最後の国王尚泰のひ孫の東室への安葬に対して、奉納演奏を野村流と興陽会で厳かに行った。
伊是名玉御殿 御骨納みやい 御主加那志代々に とどみさびら
御骨納みたる 金丸ぬ誇い 代々にさたぬくす 島ぬ語り
2005.12.21(水)琉球新報夕刊掲載
サラサゴンベ *クリックして拡大して観て下さい
尚裕氏は、今から五百九十年前、伊是名村の農民の子として生まれ、「チロウ(強い)、ジンブン(知恵)、カーギ(顔)、シガタ(姿)」で、第二王統(十九代四百九年)を築いた金丸、始祖尚円王の末えいで、琉球の歴史と文化、平和と守礼の国を創造した王統である。
沖縄には玉御殿が二カ所ある。首里玉御殿(玉陵)は歴代王とその側室、子供たちが安葬されている。伊是名玉御殿は、東室に尚円王の父母、姉、宗祖、西室には代々の伊平屋アンガナシー、両二カヤ田アンガナシー、そして銘苅家主夫妻が安葬されている。
二十二代当主の尚裕氏が生前、伊是名島にある尚家の財産をすべて村に無償提供したことや、また、同氏の「永遠の眠りは伊是名島」との要望もあり、尚円が島を出て五百六十六年の時空を越えて、古(いにしえ)の先祖に抱かれての安葬の儀となった。また、昨年十一月に亡くなられた裕氏の姉・井伊文子さんも同様、八月二十七日に分骨の儀が行われた。
琉球最後の国王尚泰のひ孫の東室への安葬に対して、奉納演奏を野村流と興陽会で厳かに行った。
伊是名玉御殿 御骨納みやい 御主加那志代々に とどみさびら
御骨納みたる 金丸ぬ誇い 代々にさたぬくす 島ぬ語り
2005.12.21(水)琉球新報夕刊掲載

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2007年12月09日
歌い初め 舞い初め
第10回新春「歌い初め 舞い初め華舞台」(琉球新報社主催)が10日夜、県立武道館で2000人の芸能家が集い、華々しい幕開けとなった。神事のお清め、沖縄の県知事として珍しい仲井真県知事の挨拶もあり、芸能に対する造詣がうかがえた。そうだ、知事のお父さん元楷氏は芸能連盟の四代目の会長だった。
歌い初めではかぎやで風も弾き、カメラの注目を浴びた。芸能文化、方言(しまくぅとば)なども新しい視点から行政に、そして県の職員採用試験にも取り入れたらどうでしょう?
今年は三線、舞踊、太鼓等が例年より増えた。各流派の力の入れようか。筝が寂しい。演奏場所のせいか。単独組織のせいか、来年に期待しよう。
沖縄の三線というと、歌も含めての印象があるが、歌、三線の呼び名が正しく、歌が主で三線は従。歌の調子をとるために発達したようだ。
新春を寿ぐ荘重な御嘉利3曲の後に、フロアいっぱいを埋め尽くした金の蝶銀の蝶の舞初めである。扇子の片面は金色片面は銀色、ライトを浴びた扇子が金銀の蝶のように、また大波小波のようにフロアいっぱい幻想の世界へと誘う新春の一大パノラマだ。また浜千鳥節の得意な老御大が最前列で誇らしげに踊る姿に舞踊家の神髄を見た。
「最も高尚なる芸術は道徳と一致す、死するまで学ぶべし」。沖縄の芸能バンザイ!
2007.1.21(日) 琉球新報朝刊掲載

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ユカタハタ
歌い初めではかぎやで風も弾き、カメラの注目を浴びた。芸能文化、方言(しまくぅとば)なども新しい視点から行政に、そして県の職員採用試験にも取り入れたらどうでしょう?
今年は三線、舞踊、太鼓等が例年より増えた。各流派の力の入れようか。筝が寂しい。演奏場所のせいか。単独組織のせいか、来年に期待しよう。
沖縄の三線というと、歌も含めての印象があるが、歌、三線の呼び名が正しく、歌が主で三線は従。歌の調子をとるために発達したようだ。
新春を寿ぐ荘重な御嘉利3曲の後に、フロアいっぱいを埋め尽くした金の蝶銀の蝶の舞初めである。扇子の片面は金色片面は銀色、ライトを浴びた扇子が金銀の蝶のように、また大波小波のようにフロアいっぱい幻想の世界へと誘う新春の一大パノラマだ。また浜千鳥節の得意な老御大が最前列で誇らしげに踊る姿に舞踊家の神髄を見た。
「最も高尚なる芸術は道徳と一致す、死するまで学ぶべし」。沖縄の芸能バンザイ!
2007.1.21(日) 琉球新報朝刊掲載

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