2008年08月29日

宮古島トライアスロンの記憶

 日曜の朝二日酔いの目をテレビに向けた、大勢の人が泳いでいるこんなに早くからまだ7時
過ぎだというのに、無視して目を閉じた再度見た今度は自転車を飛ばしてる、競技か?
一日が終わろうとしてチャンネルをひねる、今度は走っている。こんな競技があるのか!

外国だと思ったら沖縄の宮古島だ、NHKのテレビが生中継と騒いでいたのは「鉄人レース」
朝7時に水泳スタート3km、自転車136km、ラン42km制限時間23時、16時間のながちょうば人間の体力の限界に挑戦か。企画するアホーに参加するアホー同じアホーなら参加せにゃ
そん・・そん?1985年第一回大会の強烈なインパクトを受けた1日だった。

あれから4年(1989年)4月23日朝5時に朝食、腕、太もも、水泳帽に627の番号を書き
前浜ビーチのスタートに立つ700名の鉄人の中に立っていた。「号砲一発」イモ洗いの中に
飛び込んだ、これから格闘戦だ。足は引っ張られ脇腹は蹴られ、頭は押さえこまれ、メガネは

外されまさにバトルロイヤル、必死に泳ぎ自転車の136km(宮古島を約2周)へ東平安名埼の
360度のワイドな景色を観ながら、しかし腰痛持ちの私はボランテアの待つ補給基地で背中に
”氷を”するとスコップいっぱいの氷をテーシャツの中にドドド・・・「OK」いや鉄人が!サービス

2杯も、アゲー腰痛どころか凍傷だ、凍傷にならぬよう腰をふりふりバイクの終着。
最後のラン42kmスタートしたら「東恩納さん45歳ガンバレー」次々と沿道からの声援
ん?なんで俺を知っているんだろう、ん?号外だ琉球新報からの手に手に持って、これは

色が黒いから島人だ、勝手に決めるな!でも合っているサンキュウー。保良集落折り返し
熱い、歩道の木陰を走る、アラー鉄人がなんだ!応援席からヤジが飛ぶ鉄人はつらい?
沿道でゴザを敷いてビールが始まっているビールが欲しい、ほんとに持ってきた

NO、サンキュー手を振って走る、相手も追っかけてくる、やむなく?一口ゴクン、ん、うまい
五臓六腑にしみこむのが体全体でキャッチ、千鳥足がますます千鳥足。陽も傾きゴールも
近い、いよいよか!笑顔で入るシュミレーション、そしてグランドに一歩一歩大地を踏みしめる。

グランドには那覇から美人3人が花束を持って笑顔で迎えた。疲労が飛んだ。花束を高々と
掲げながら自信と誇りと達成感と満足感のテープを切った。午後7時02分、
11時間2分、447位の壮絶なドラマだった。1989年4月23日(日)第5回大会。

* 人生2度目の無の境地を体験した、グランドに大の字ウリジンの風が優しくささやく、芝生も
、グランドの周囲の木も、天の星も、語りかけて心安らかにそっと体の中に入って、とうり過ぎていくのを感じ私もささやきながら万物と語るそして天に昇る夢心地でした。。
  第5回宮古島トラオアスロン  *画像をkリックして拡大して観て下さい
    






    第10回大会
 久しぶりに夢心地になり、明日に書こう
 
その明日。第5回、10回大会の完走賞と記念メダルを前に再度チャレンジすることがない?
しないだろう軌跡の写真を観ながら感傷のペンが走る。

5回大会の後に伊是名トライアスロンを3度経験した、どれぐらいの練習で完走ができるか体が覚えるようになった。その分緊張感がなく練習量が少なくなっていく逃げの心か?芸能活動と仕事(県庁)
普通のサラリーマンとは会話が徐々に遠ざかっていく寂しい気もするが自分との闘いに挑む。

日曜日になると、プールで1時間泳ぎそこからバイクで名護まで(66km)大好きなソバを食べて
また来た道を帰る。バス、トラック等が横着で腹が立つ、集中力を欠いたらヤバイ。

バイクを置いてラン15km走、疲労で道路、夜のネオンがゆれる。すれ違う人達の目が怪訝な目、哀れな目、だいじょうぶですかの声が集中力のかけた耳にかすかに聞こえる。

大会4~5日前か子供舞踊大会の地唄をしてる私の所に舞踊家の伊波正江師匠がまた今度
出るんでしょう、新聞見たんですから、でもその大会の翌日は選抜創作舞踊ですから吹き込んで
行ってください。そしたら帰らなくてもいいですよう、本気とも笑ともとれる。

私もそう思って吹き込んでいた。(私の作詞、作曲だから)
前浜ビーチ集う1300名の鉄人達、海は台風の余波で時化、それを見て棄権する選手も出た
5回よりも500人も増えた、さらにイモ洗いの格闘技戦だ、今回は最後尾から行こう

頭はシュミレーションだ波とイモ洗いの3kmを終え、バイク今度から池間大橋が完成したので
距離は136~155kmに伸びた。全体の制限時間も16~14時間に短縮された。
マー良いか???

その池間大橋風の強さで転倒、また歩く選手も出た、筆者は歯をくいしっばた!!!
ラン保良集落折り返し42km、今回緊張感のない私はのんびりずむ、沿道の人達とヤジ合戦、
声の大きさでは委縮した試しがない。アガーイ、負きらんどー!!!足はよたよた走りも

気ガイは10人前。暗い中ゴザを敷いて10時間位か沿道で励ましてくれた宮古の人達の
アララガマ精神に深い敬意”ゼッケン番号1026、順位908、21時8分、13時間8分無事帰還。
1994年4月24日、日曜日

翌日重い足を引きずりながら飛行機へ新報ホールへまっしぐら伊波師匠、新聞後ろから見た
方が早いから、ツッコミとボケの会話が芸能人に引き戻され、終りのない幕が揚がった。

* 5回大会も10回も宮古の街を歩くと子供中学生からサイインぜめ全員そうだ、また街の
中央には写真入りの紹介の記事があり、道路も選手優先、歓迎の心に敬意”

      今度は夢の中の宮古トライアスロンか、現実のトライか体力はあるが・・・・・・・

  第10回宮古島トライアスロン  *画像をクリックして拡大して観てください

  

Posted by 東恩納清二 at 17:54Comments(2)TrackBack(0)宮古島