2008年03月25日
水洗便所
旧沖縄タイムスビルが壊された、このビルには深い思い出があった。ときは昭和33年9月、B円からドルへの交換直後新しい
ドルを持って浮き浮きの伊平屋中学3年生の本島修学旅行である。辺戸岬を回って終着の那覇の沖縄タイムス社に着く。
バス酔いで苦しい中新聞社の説明も耳に入らず、トイレを探してきょろきょろそれらしい場所を探して入るも田舎の汲み取り
便所とは違うけど下腹部が持たない、「エーイままよ」とドドー、フーとすっきり。今度は不安になった、はたしてこれが便所
だろうか?入る時は黄金の塊はなかったが今はある、周囲を見るとチリ紙があるこの紙で包んで持ち帰るのかな、まさか
こんなことがあるはずがない。目の前にタンクがあり側に紐がついていた、この紐で魔法でも使うのかな、おもいっきり紐を
引っ張った。とたんに股の間からすごい勢いで水がザー、わー!びっくりすると同時に反射的に1mほど飛び上がった。
着地しようとしたらズボンが両足に絡みスッテンコロリ、強く尾てい骨を打ちアガヨー!こんなことってありかよ。しかし痛いどころか水と黄金の行方が心配でたまらない事務所の中か家の居間か台所かどこに流れたんだろう?
あれから10年沖縄にも沖縄下水道公社(総裁志村恵)が設立され、今日の水洗便所が普及した。少年の深い思い出の旧
タイムスビルが消え、新都心に新しいビルが建って1年が過ぎようとしている。
ちなみにあのトイレは和式だった。
2002年12月29日(日)沖縄タイムス朝刊茶のみ話特集掲載

あおうみがめ *クリックして拡大して観て下さい(すべての画像)
ドルを持って浮き浮きの伊平屋中学3年生の本島修学旅行である。辺戸岬を回って終着の那覇の沖縄タイムス社に着く。
バス酔いで苦しい中新聞社の説明も耳に入らず、トイレを探してきょろきょろそれらしい場所を探して入るも田舎の汲み取り
便所とは違うけど下腹部が持たない、「エーイままよ」とドドー、フーとすっきり。今度は不安になった、はたしてこれが便所
だろうか?入る時は黄金の塊はなかったが今はある、周囲を見るとチリ紙があるこの紙で包んで持ち帰るのかな、まさか
こんなことがあるはずがない。目の前にタンクがあり側に紐がついていた、この紐で魔法でも使うのかな、おもいっきり紐を
引っ張った。とたんに股の間からすごい勢いで水がザー、わー!びっくりすると同時に反射的に1mほど飛び上がった。
着地しようとしたらズボンが両足に絡みスッテンコロリ、強く尾てい骨を打ちアガヨー!こんなことってありかよ。しかし痛いどころか水と黄金の行方が心配でたまらない事務所の中か家の居間か台所かどこに流れたんだろう?
あれから10年沖縄にも沖縄下水道公社(総裁志村恵)が設立され、今日の水洗便所が普及した。少年の深い思い出の旧
タイムスビルが消え、新都心に新しいビルが建って1年が過ぎようとしている。
ちなみにあのトイレは和式だった。
2002年12月29日(日)沖縄タイムス朝刊茶のみ話特集掲載

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2008年03月05日
先人達と心一つに
沖縄芸能連盟(玉城節子会長)の第14回いにしえを偲ぶ{琉球、薩摩ロマンの旅}が12月8日から10日まで行われ、51人の参加者で盛り上がった。古典舞踊の大部分が琉球の国王の戴冠式にやってくる、いわゆる御冠船の際に完成され、上演されたのに対して「上り、下り口説」はらち外で発達したものである。また「七五調」の音楽形式が琉球音楽に大きな変化をもたらした。
早朝5時に首里観音堂に集結し、千手観音様に旅の安全祈願をし「上り口説」の一番だけの奉納舞いを会長自ら踊り、大道松原ー安里八幡宮ー崇元寺ー美栄橋碑文ー中の橋ー三重城ー那覇港までを徒歩で行く、午前8時の船で残波岬を後に見て伊平屋渡の波を乗り越えながら、ゆれるデッキで「上り口説」「花風」を舞い、七島渡中もなだやしく硫黄が島の煙は、船から見る時間と位置、太陽の光、天気、噴煙の関係で「燃える煙」か「立ちゅる煙」に見えるようだ。今回は立ちゅる煙の方がすっきり感じる。そして佐多の岬ー御開聞ー山川港ー桜島ー鹿児島港にたどり着いた。
今回の講師は芸能界のご意見番崎間麗進先生、独特な話術で聞く人をいにしえの世界へと誘う、また旅の一番の楽しみは夜の懇親会。芸能人ならではのアトラクションが延々とつづく。とくに琴の安里ヒロ子、高良時江氏、舞の山内小夜氏等大ハッスル船の旅も悠久のロマンを醸し出し、船酔いも吹き飛びはじめての人もイチャリバ兄弟のごとくすぐ親しくなった。翌日、琉球人の墓参りをし琉球館後-山川港の異国船番所跡地、そしてそこにあったであろう「琉球人瀬」の碑、その由来は琉球人の船が座礁し、人や積荷を地元の人達が積極的に助けた。それを聞いた三司官池城親方が地もとの人達にお礼状を送った。

ガラスハゼ *クリックして拡大して観て下さい
その碑の土台が風で破壊され碑は20m先に転がっていた。見かねた一行仮にでも何とか修復しようと翌日早朝6時から実行に移した。実行にあたって碑の重量計算をし次に波の作用と反作用を分散させる場所、また地元の護岸工事に支障のない場所、元の場所から5m以内と選定してして作業に入った。石をかたずけ使える石を集め、木の廃材を拾い廃材をレールにして碑を転がし穴を掘り、碑を建て石を敷き詰め砂をかぶせ、参加者全員が熱気あふれ心が一つになり各々の仕事をはたし、完成した時は節子会長おもわず「バンザーイ」全員つられて「バンザーイ、バンザーイ」先人達と心が一つになった瞬間だった。
いにしえを偲ぶ琉球、薩摩ロマンの旅の締めくくりにふさわしい幕引きだった。夢多き純真なきらきら輝く少女のような瞳が脳裏からはなれない。崎間先生いわく「芸能は心だ」今度の旅は心の旅だったと説いた。
2004年12月30日(木) 琉球新報朝刊掲載

オキナワベニハゼ *クリックして拡大して観て下さい
早朝5時に首里観音堂に集結し、千手観音様に旅の安全祈願をし「上り口説」の一番だけの奉納舞いを会長自ら踊り、大道松原ー安里八幡宮ー崇元寺ー美栄橋碑文ー中の橋ー三重城ー那覇港までを徒歩で行く、午前8時の船で残波岬を後に見て伊平屋渡の波を乗り越えながら、ゆれるデッキで「上り口説」「花風」を舞い、七島渡中もなだやしく硫黄が島の煙は、船から見る時間と位置、太陽の光、天気、噴煙の関係で「燃える煙」か「立ちゅる煙」に見えるようだ。今回は立ちゅる煙の方がすっきり感じる。そして佐多の岬ー御開聞ー山川港ー桜島ー鹿児島港にたどり着いた。
今回の講師は芸能界のご意見番崎間麗進先生、独特な話術で聞く人をいにしえの世界へと誘う、また旅の一番の楽しみは夜の懇親会。芸能人ならではのアトラクションが延々とつづく。とくに琴の安里ヒロ子、高良時江氏、舞の山内小夜氏等大ハッスル船の旅も悠久のロマンを醸し出し、船酔いも吹き飛びはじめての人もイチャリバ兄弟のごとくすぐ親しくなった。翌日、琉球人の墓参りをし琉球館後-山川港の異国船番所跡地、そしてそこにあったであろう「琉球人瀬」の碑、その由来は琉球人の船が座礁し、人や積荷を地元の人達が積極的に助けた。それを聞いた三司官池城親方が地もとの人達にお礼状を送った。

ガラスハゼ *クリックして拡大して観て下さい
その碑の土台が風で破壊され碑は20m先に転がっていた。見かねた一行仮にでも何とか修復しようと翌日早朝6時から実行に移した。実行にあたって碑の重量計算をし次に波の作用と反作用を分散させる場所、また地元の護岸工事に支障のない場所、元の場所から5m以内と選定してして作業に入った。石をかたずけ使える石を集め、木の廃材を拾い廃材をレールにして碑を転がし穴を掘り、碑を建て石を敷き詰め砂をかぶせ、参加者全員が熱気あふれ心が一つになり各々の仕事をはたし、完成した時は節子会長おもわず「バンザーイ」全員つられて「バンザーイ、バンザーイ」先人達と心が一つになった瞬間だった。
いにしえを偲ぶ琉球、薩摩ロマンの旅の締めくくりにふさわしい幕引きだった。夢多き純真なきらきら輝く少女のような瞳が脳裏からはなれない。崎間先生いわく「芸能は心だ」今度の旅は心の旅だったと説いた。
2004年12月30日(木) 琉球新報朝刊掲載

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