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Posted by TI-DA at

2010年01月29日

欽定工工四(御拝領工工四)

琉球音楽に携わっている者で現在の古典、民謡等の工工四が野村流教本の恩恵を
受けていない団体、人はいない。以下その経緯を紹介する。

琉球古典音楽を楽譜にはじめて記録したのは、屋嘉比朝寄(1716~1775)
による屋嘉比工工四(1751)117節であるが、それを知念積高(1761~

1828)が整理改良し、知念没12年後、安冨祖正元(1785~1865)が
師知念の意を受けて整理したのが俗にいう芭蕉紙工工四と呼ばれる知念工工四

(1840)上下2巻163節である。さらに、尚泰王の命により野村安趙
(1805~1871)が高弟松村真信(1835~1896)、山内盛憙、

喜捨場朝賢らの助力を得て、上中下3巻150節に、知念の工工四を改良編纂させた
のが欽定工工四(1869)であり、野村流と限定する楽曲であろう。

* 欽定とは君主(王)の命によって制定すること。すなわち欽定工工四とは王
  様の命によって作成された工工四。

       *欽定工工四作成を命じた国王尚泰



野村安趙の高弟に桑江良眞(1831~1914)現在の野村流に大きな影響を
及ぼした人、その高弟に伊佐川世瑞(1872~1937)その高弟に世礼国男

(1897~1950)。伊佐川世瑞が唄い世礼国男が声楽譜をつけて1935年
に現在の世界に冠たる野村流教本が完成したのである。

野村安趙


                          松村真信
桑江良眞        


                  世礼国男             伊佐川世瑞   




                  伊佐川世瑞銅像




    
                  世礼国男銅像
 
                                       


Posted by 響き(とよむ) at 17:41Comments(2)野村流音楽協会