2011年04月26日

舞と唄と琴の競演パート(5)

このシリーズもパート17を残すのみとなった。パート5はパート
1,2,3,4、の総集編ですのでパート6のところではぶくと書きましたが

掲載希望がありましたので掲載します。

舞と唄と琴の競演パート(5)



舞と唄と琴の競演パート(5)



舞と唄と琴の競演パート(5)



舞と唄と琴の競演パート(5)



舞と唄と琴の競演パート(5)



舞と唄と琴の競演パート(5)



舞と唄と琴の競演パート(5)



舞と唄と琴の競演パート(5)



舞と唄と琴の競演パート(5)







Posted by 響き(とよむ) at 15:40│Comments(3)シリーズ5
この記事へのコメント
 ハイサイ。ちゅう、うがまりやびら。わんや、「琉歌探訪ふりむん」りちぃ渾名うちょうる者ややびーる。初、いちぇる上、ぐぶりぃーやいびしが、下んかい、かちぇるぐと、しぐく困とういびんー。ユタシクうにげーさびら。
「世々を経て、栄えいくやの、松竹にちきて老の末や、ひさしき」 これは、」琉球が産んだ名頓知者渡嘉敷ペークーの琉歌ですが、「松竹にちきて」の「ちきて」の意味がどうしてもわからなく、シググ、ちるだいそうーびん。うみしぃじゃぬ東恩納清二さん、むんならーし方、うにげしゃびら。
Posted by 琉歌探訪ふりむん at 2011年04月27日 21:01
ハイサイ。コメントニフェデービル、琉歌大成からペーク氏の琉歌を調べましたら,1首「もしか閻魔王の 御用どもやらば 九十九までや 留守と答えれ」

しかなく、これから時間をかけて調べたいですが、私の直感からすれば
「ちきて」は煙草に火をちきて、港に船をちきて等、の意になろうかと

思いますが、松は長寿、慶賀の意味で竹はまっすぐ、ペークの人生は
「松竹に寄せて、松竹のように」の人生を歩んだつもりが老いの末は

あまり自分では良くなかったかも・・・・ペーク氏の事を勉強してみます。
コメント ニフェーデービル。
Posted by 東恩納清二 at 2011年04月28日 07:24
早速、モメント頂き、ありがとうございます。心地よいサンシンの響きを聴いたようなきもちです。ニフェでーびる。
実は、東恩納さん、「ちきてというのは、ちきだきとうぶし。つまり、灯しと、解釈したほうが・・」言う人がいまして論争中なのです。私の解釈は、東恩納さんの松は長寿、慶賀の意味で竹はまっすぐ、ペークの人生は「松竹に寄せて、松竹のように」と同じです。あと何人かが賛同してもらえれば確信が持てまが。
東恩納さんは琉歌の大御所上原直彦さんとは親しくは御座いませんか。機会がありましたらお尋ねできませんか。
東恩納清二 さんのニックネームがありましたら、よろしく。無ければ、ピカ一の付けてください。このブログ大変勉強になりますねで、過去記事、詠むつもりです。今後とも宜しくお願い致します。
Posted by 琉歌探訪ふりむん at 2011年04月28日 23:31
 
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